「自分のアカウントが好きになれない」

「発信はしてきたけれど、なんだかしっくりこなくて、SNSが楽しくないんです」

このご相談は多いです。

発信すればするほどに、自分らしさがなくなっていく。

今回はこのテーマに切り込んでいきたいと思います。

まず背景からお話したいんですが、この数年で発信者が爆増しましたよね。

その結果、競合の中で選ばれていくには目立たないといけない。

そのためには煽り投稿や誰かを傷つける刺激のある投稿をしなければバズることができず、影響力を持つことができないという状況があります。

刺激は更なる刺激を生み、元々のメッセージ性の原型さえ残らなくなっていく…。

「煽りやマウントがSNSの文化」

こんな品のない世界に嫌気がさしている人も多いのではと思います。

その上で

・問題提起のためのネガティブなメッセージ

・テンプレ通りの決まりきった文章

・セールスをしないと売れないアカウント設計

・競合に埋もれないための疲弊する運用…

どこかで作り上げられた「正解の運用」に息苦しさを感じて、SNSを見れば見るほどに疲弊する。

これでは好きになれなくて当然です。

本来SNSというのは、表現の自由の場であり、好きな人たちとのコミュニケーションの場でした。

しかし近年は、「バズるため」「集客のため」、こんな目的に捉われすぎていることで、自由な発想ができなくなっているんですよね。

ある意味、引かれたレールを脱することができない。

これが、SNSが面白くなくなってしまう原因ではないでしょうか。

虚像ではなく、本物を伝えたい

「自分のアカウントが好きになれない」の言葉の背景には、今のSNSの現状がありありと浮かびます。

元々は伝えたい想いがあったのに、「発信はこうするべき」という型に無理矢理にはめられて、自分の美学に反した発信を強いられる。

その結果、言葉の純度が失われ、自分ではないものが発信されていく。

それによって売上が立ったり、影響力を得ることができて目的が達成されるならいい、と割り切れる方も中にはいるかもしれません。

しかしそれは、SNSを一つの集客装置として見れる場合です。

僕のところに相談に来てくださる方は、「人」を大切にする方が多いです。

発信を「人との出会い」と捉えます。

だからこそ、集客をするためだけの「虚像」の発信ではなくて、「本物」を伝えたい。

そんな想いを心のうちに持っているからこそ、違和感を敏感に察知できるんですよね。

発信とは、自分が大切にしている何かを犠牲にしながらやることでしょうか?

僕は違うと思うんです。

数字、成果、フォロワー数、売上。

もちろんそれらを追うのは必要なことで、追えばいいです。

しかし、自分の美学を犠牲にした売上を追っても、長続きはしません。

ビジネスも自分の生き方の一部です。

自分が美しいと思えないビジネスや発信をして、幸福度は上がるのでしょうか。

僕はそうは思えないんですよね。

売るために仕方なく虚像をつくっている限り、虚しさは続いていきます。

本当の自分との乖離が起きるほどに、違和感を感じるのは自然なことです。

発信をただのお金稼ぎの手段として見るのではなく、発信を通して自分の生き様を表現し、社会と繋がっていく。

そして本物の自分で、本物のメッセージを届けていく。

その先に、幸福の実感は見出せるのではないでしょうか。

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